意見を言う事は悪い事?

評論

私は、小学生の時のいじめっ子、中学生の時のいじめっ子、過去お付き合いした方や会社の上司などで何人か、『意見』=『口答え』と捉える人と出会ってきました。『私はこう思う』と言うと、相手の気に障るみたいなので、無駄な精神消耗を避けるためには相手の意見に同調するしかなくなってしまうのです。日本人特有の忖度重視で、具体性も合理性もない意見ばかりが表に出て、見えないところで問題が膨らんでいる事に気付けない。日本は今、経済危機に直面しているにもかかわらず、未だに物事の本質を覆い隠してしまう様なこの空気が払拭できずにいます。

日本を変えたいと思い、例えば衆議院選挙で立候補したいと思う人がいても、供託金や活動に必要な経費等は、現実的に庶民が払えるような金額ではありません。そうすると結果的に、大多数の民意が反映されない政治が続くことになります。家庭でも学校でも会社でもそう。結局、自分自身を優位だと思っている人が流れを作ってしまうのです。

日本は、『年功序列』『男尊女卑』の考え方が根強く残っています。


ここで、いくつかデータを見てみましょう。

まず、年齢の分布を見てみましょう。
※総務省統計局HPに掲載されている、日本人人口の2022年4月1日確定値よりグラフを作成しました。

壺型の人口ピラミッドになっています。総務省統計局の最新(2022年9月時点)の発表では高齢者(65歳以上)人口は3,627万人、高齢者人口率は29.1%です。ちなみに、2021年10月31日に投開票が行われた衆議院議員総選挙の当選者平均年齢は55.5歳です。


次に、女性の政治参加と男性の育児参加の数字を紹介します。

2021年10月31日に投開票が行われた衆議院議員総選挙の当選者女性比率は9.7%です。

2021年度の男性の育児休業の取得率(育児休業取得者数 ÷ 配偶者が出産した社員数 ×100)は13.97%(厚生労働省の雇用均等基本調査より)です。男性の育児参加がまだ消極的で、更に男女とも生涯未婚率は上昇していく一方です。当然の流れで子供の数は減少しています。


さて、バラバラと数字を出してみましたが、いかがでしょうか。いわゆるネガティブな意味での昭和の価値観が一般的となっているイメージです。私も生活の中で度々実感します。

私の会社では、書類は紙・連絡はFAXがメイン、経営者はイケイケドンドンの感覚が抜けず経営悪化の一途を辿りながらも何故か続けられる根性論。

元夫は、子供に暴力的で子育てしないと明言していたので論外ですが、育児が女性ではないといけない理由はありません。私の子供は未熟児でNICUに数ヶ月入院したので母乳は搾乳して届けるスタイルでしたが、搾乳には10分程しか時間を要しません。ミルク、おむつ替え、お風呂、寝かしつけなど、誰でもできます。産休は確かに女性が担うものですが、育休は男女関係ありません。育児もですが、家事や介護も男女関係ないですが、未だに基本的に女性がするという空気感を感じる事が多いです。

私は子供が好きです。大学時代と社会人になってからを合わせると7年程家庭教師の経験があるのですが、子供達の意見は新しくて夢があって素晴らしいものです。元生徒たちは今は大学生になっていたり社会人になっていたりしますが、文明の利器を使いこなせて調べ事や連絡が効率よく、トレンドをよく知っています。お年を召した方も好きです。よくLINEする年配の友人たちは器が大きくて知識が豊富で、勉強になることが多いです。複数の都道府県に移り住んだり、いろんな場所に旅をしてきましたが、様々な文化に触れたり人と会話をする事で視野が広がりました。

議論の場に現在少数の若者や女性などが増えれば新しい風が吹くのではないでしょうか。優位な立場が脅かされる心配の少ない人が何となくそれっぽい事を言って圧力と勢いで纏めるのと、ざっくばらんに意見を出し合って視野が広がるのとでは、どちらが有意義でしょうか。封じられてしまっている貴重な意見が沢山あるように思います。発言する事に怖気付かなくていい、対等なコミュニケーションが行える場が至る所に増えたらと願います。とはいえ実際の社会は理不尽なので正論がすんなり浸透するわけではありませんが、時代の変化やネットの普及によって、今まで根拠もなく正しいと信じられてきた物事の認識が変わったり、隠されていたあらゆる問題が顕在化したり、最適化するための材料が増えている様に感じます。大切な事は、決定権を持つ人が有利になる事ではなくて皆が幸せになる事です。誰もが堂々と生きていける社会になる事を願います。