京都アニメーション 第一スタジオ 放火事件

NEWS解説
京都アニメーションとは?

日本のアニメ制作会社

第一スタジオ 放火事件とは?

2019年7月18日、
青葉真司による放火で36人が死亡・32人が重軽傷
犯行動機は『京都アニメーションに小説を盗まれた』とのこと

裁判が始まった日は?

2023年9月5日

青葉真司の生い立ちは?

埼玉県生まれ
両親・兄・妹と5人家族、9歳の頃に両親離婚、
子供3人は父親に引き取られアパート暮らし
1999、父親が自殺、2004、妹が自殺
2006、下着泥棒で逮捕、2012、コンビニ強盗で逮捕


私の思いをお話します。

まずは、怒りと悲しみがおさまりません。
彼は自分勝手な考えで、無関係な人の命を理不尽に奪いました。

刑法39条の定めによると、心神喪失の場合は無罪、心神耗弱の場合は無期懲役(減刑)になります。『刑法』は、悪いことを悪いと分かっている状態でやった人を罰するのが基本です。私としては、刑法で裁く際に被告人の『気持ち』が加味される限りは、『悪いことを悪いと認識できない人』は早期に発見して、隔離又は観察することが治安の為に必要だと思います。『悪いことを悪いと分からない』性質が現れたときに、直すことができないのであれば、社会に混じることはとても危険だと思います。被告人の弁護士の主張なんて荒唐無稽で、実に無意味なものだと思いますし、むしろ害悪だと思います。弁護士の働きかけは、被害者と被害者の家族の心を更に深く傷付け、時には治安悪化に加担していることもあると思います。
我が子の学校にも保育園にも、何度も暴力する子供がいます。その子供は、暴力が悪いことであると理解しているのかどうか分かりません。暴力があった時は、先生は必ず叱って説教しますし、加害者の子供のご家庭に報告します。学校では暴力は悪いことであるとして教えていますし、現代の先生は昭和時代にあった様な体罰はないので、暗に正当化してしまうこともありません。学校や保育園での道徳的な指導が無意味に思えるほど、家庭環境の中で、いかに子供の人格が固まってしまうかが分かります。そして、『悪いことを悪いと認識できない人』が社会に出てしまった場合に、他人が矯正することは難しいと思います。
また、暴力をしてしまう子供の保護者が悩みを抱えている場合も多いと思います。悩みを抱えている大人が救われる場所はどこかにあるのでしょうか。人間は弱い生き物です。大人だからといって、強いわけではありませんそのことが理解できない人は、困っている人の存在や気持ちを知らない人です。人生は運による影響も大きいです。不運な時は、誰かの支えがないと生きていけません。人助けが盛んなあたたかい社会が理想ですが、現代人にストレスが多く、心の余裕がなかなか持てないこともまた問題です。経営者は資金繰りに精一杯、労働者は食いっぱぐれない様に必死です。自暴自棄になってしまった人が起こした事件に対して『誰かに悩みを打ち明けていれば』という意見が散見されることがありますが、とても無責任な発言だと思います。もしその自暴自棄になってしまった人の相談相手が御自身だったら?解決してあげられますか?と、尋ねてみたいものです。この現代の日本社会の有様を軽く考えているうちは、どんどん治安が悪くなっていくと思います。

政府は、困った人への対応が中途半端だと思います。生活保障のおかげで生きてはいられるけど、精神は悪化に向かっていきます。被告人の様に、生まれて初めて経験するコミュニティである『家族』との人間関係が壊れた人が、家族以外のコミュニティで人間関係を作る事は実現可能なのでしょうか。家族以外の誰かに愛を注いでもらえることは考えにくいと思います。学校で暴力をふるう子供は、先生方の悩みの種です。周りの子供たちは、みんな怖がっています。愛なんて持てません。小さい頃に愛される経験を得られなかった人が、その後の人生のどこかの環境で、人に愛される事や人を愛する事に自信を持てる経験ができて、自己肯定感を高めていくことができる可能性はあるのでしょうか。なかなかイメージできません。現代の日本は、生活に苦労する人ばかりです。生活に必死な人が増えれば、他人を救える余裕のある人は減ります。
そういった時の救いの求め先が唯一役所だと思うのですが、役所は冷たいです。公平な対応、厳正な対応のために仕方がないのかもしれませんが、彼らの態度は、困り果てた住民を絶望に突き落とします。役所の相談窓口に来る人は、勇気をふりしぼって、藁にも縋る思いで来ています。
余裕のある人が、困っている人を積極的に気に掛ける事も難しいことです。まずは、目に見える形で手助けしなくても、既にしっかりと支えています。税金の用途の1つに格差是正があります。所得が多い人は納税額も大きく、困っている方々に再分配されています。rainydayの時は、元気に活躍する方々のお陰で公的なサポートを受けることができ、助かっています。ですので、経済的に安定している方々に嫉妬心を向けることはお門違いです。そういった思考回路になってしまう時は、SNSを絶つことをお勧めします。

最後に『普通』の強要について、お話します。私は、1人行動が多い人間なのですが、『友達は多い方が良い』とか『リア充』みたいな価値観は捨てていいと思います。人間関係のと豊かさは関係ないと思います。あとは、平均年収とか、平均結婚年齢とか、そんな情報要らないと思います。この御時世、変なプロパガンダのせいで自分がマイノリティな気がしてくると、焦るし追い詰められるからです。
また、現代の価値観は『多様性の尊重』がよく言われていると共に、マイノリティがどんどん明るみに出ています。非常に良い傾向だと思います。ただ、私の考えとしては、『普通』を押し付けないこととか先入観を持たないことがとても大切で、【自分は『〇〇〇』(何らかの診断名)だから】と要望を訴えたり何かを許してもらう事をのぞむことは違うと思っています。生きている全員がそれぞれ環境や個性、得意不得意が様々で、誰のことも誰も知りえません。受診すれば何か診断名が付く人の中でも、受診する人もいるし、しない人もいます。『病気』ではなく『個性』と捉えて、真っ先にするべきことは『同調圧力』を無くすことなのではないでしょうか。


この事件は、ずっとモヤモヤしています。失われた大切な命への悲しみは消えません。遺族の苦しみは想像を絶する辛さです。このような事件を知ると、社会生活がとても怖くなります。しかし、いったい、どうしたら、起こらずに済んだのかを考えても考えても分かりません。
みなさまは、どう考えますか。