【The current topics】『諫早湾干拓事業』Isahaya Bay reclamation dispute

評論

世の中には何も成果を生まない論争は沢山あります。その意味を考えたいと思います。

成果が無い論争とは、お互い自分の意見を言うだけで相手の意見を聞く気がない状態です。

例えば、諫早湾干拓事業において、治水事業・漁業・農業が折り合いつかずにいます。外野から見たら税金の無駄遣いに見えたとしても、当事者達は人生を賭けて戦っています。

自分の意見を押し通す姿勢になってしまう時は何かを強く守りたい時です。

大切なものを失いそうになった時は冷静にしていられません。絶対守ると決心したものは強硬な姿勢を貫き通せる強さが人間には備わっているのだと思います。

現状で開門したら何が起こるかを考える事が今は大事です。状況は昔のままではないのに同じことを言い続けていても意味がありません。開門したら元通りになるわけではありませんし、既に漁業サイドは多額の制裁金を受け取っています。今、漁業従事者の希望通りに開門したとして、農地に被害が出たり水害が起きたりしたら、漁業従事者は農業従事者に対して賠償責任を果たすつもりなのでしょうか。浅はかな主張だけ勢いが良くて、問題が起こっても責任を取るつもりはないという事だったら、それは社会では通用しません。感情論だけの主張は成果を生むどころか迷惑になってしまう事もあります。

本日話題になった東京電力福島第1原発の処理水を海洋放出する件はいかがでしょうか。

今は飽食の時代、食品を選べる時代、私は処理水が海洋放出されたら福島県で採れた魚は絶対買いません。全漁連が反対する気持ちを理解できます。風評に踊らされる人が大多数です。勿論処理水をずっと貯蔵しておけない事情も理解しています。政府が判断を強行する事が多々ありますが、反対側にも有識者を付けて議論の場を設ける事が望ましいと考えます。現場の人たちにしか分からない事もありますし、地元住民の声を無視してしまうと、わだかまりがずっと続く事になります。とても可哀相です。

さて、私は旅行に行ったり、森の中を散歩したり、朝焼けを眺めたり、無意識に向けてしまっている何かへの意識を体の外にポーンと飛ばすイメージで過ごす事があります。じゃないと、やってけない時があるのです。
誰もがそれぞれの立場で何かしらやりくりしている毎日を過ごし続けています。生きていく事とは、どの結果も受け止めていかないといけないという事です。受け止めてまた今日を過ごすのです。何も成果の生まない論争は当事者にとって無駄な時間ではありません。無意味な消耗ではありません。対立して譲歩して何らかの結論を受け止めて、少しずつ新しい形に変化しながら先へ進んでいくのです。